検診・治療を受ける不利益を考えたことがありますか?

「医者に殺されない47の心得」などのベストセラーで知られる医師の近藤誠さんが、先日亡くなられました。

私も、以前にこの本をはじめ何冊かのご著書を興味深く読んだことを覚えています。

がんを放置したらどうなるか、実はさして増大せず転移もせずにときには消えることさえあるので、慌てて治療に走るのは待ちなさい、とがん治療の不利益を一貫して主張されています。

このような考え方に対して根強い信奉者がいる一方で、どちらかといえば世間では多くの方がこの方を猛烈に批判しているように思います。

 

よくある批判が、「本当にそれが正しいなら、一般向け書籍ではなく、科学的な手法で論文にまとめて学会で発表しろ」というもの。

ただ、仮に本人が学会発表したいと思っても、そこに至る前にしかるべき人に「査読」されてしまうため、どんなに真っ当な研究であってもそれを必ずしも発表できるとは限りません。

ましてや、一般の人が医学会の専門誌なんかを普通は手に取ることなどないでしょう。

そう考えると、医学の専門家ではない人に対して、一般書というカタチで「不都合な真実」をわかりやすく伝えようとしてくださるのは、僕たちにとってはありがたいことだと思います。

 

一方で、一般向け書籍だからこそ、そこに書かれたことのすべてを僕たちが文字通り短絡的に受け入れてしまわないリテラシーを持つことも大切です。

一般書は、わかりやすさ第一です。

学術論文と異なり、普段は本を読まない人にも内容を理解してもらう必要があるために、著者が書きたくても出版社・編集者の意向で書けないこと(あるいは本当は細かい説明が必要なのに、読みにくくならないよう大胆に省略してしまわれること)もたくさんあるのです。

シンプルにわかりやすくかみ砕かれた結果として、イエスかノーか、100か0か、白か黒かという二元論となってしまいがちです。

本来はすぐに結論を出せないようなグレーなことこそ、暮らしていく中ではいくらでもあるのですが。

ですから、近藤さんの主張に対して受け入れ難い点があったとしても、感情的になるほどのことではないはずです。

 

むしろ、私は共感できることも多かった印象です。

例えば、がんで亡くなるのは良い死に方だと述べられていたのが印象に残っています。

その趣旨は、事故や重い脳梗塞などで突然亡くなるのではなく、がんの場合は寿命が尽きるまでに一定の時間がかかるために、残された家族としっかりと時間をとってお別れができるという良い面もあるのだということだったと思います。

もちろんどのような死因であっても不幸なことには違いありませんが、その中でも良い面を探すことに意味はありますよね。

 

検診などに否定的な立場でいらっしゃることも、この方の一貫した主張です。

僕が運営する介護事業所を利用してくださる方にも、なまじ検査を受けたばかりに過剰な治療を受ける羽目になり、余計に状態が悪くなってしまったのではないかと疑いたくなる事例は決して珍しいことではありません。

検診とは直接関係ありませんが、皮膚科に通院していた知人の話です。

ある受診時に、太ももの内側に小さな「できもの」のようなものをお医者さんに発見され、もしかするとがんの可能性があるかもしれないからと精密検査を勧められました。

知人は不安でたまらなくなり、医師から勧められた通りに迷わず検査を受けたそうです。

結果は、がんではないとのことでした。

ただ、検査でその部位をごっそり深く切り取って縫い合わされたために、痛みが長く残っただけではなく、10年以上経った今でも跡が残っているそうです。

検査を受ける・受けないは、本人の選択です。

ただ、医師の立場として、そのできものがどんなにがんの可能性が低かろうが、見てしまった以上は患者に伝えないわけにはいきません。

患者は、怖い存在です。

万一本当にがんだった場合、なぜ見つけてくれなかったのかと責められるのはその医師ですから。

僕たち患者としては、お医者さんの立場も理解してあげる優しい気持ちを持ちながら、がんを過度に恐れて不安になるのではなく、検査を受ける不利益も考慮したうえで、落ち着いて考えることが大切です。

世の中は白か黒かという二元論ではないことを知っておくだけでも、余計な不安を抱くこともなくなりますし、心が軽くなっていくのではないでしょうか。

 

そんなことを、たくさんの批判を浴びた近藤さんのご著書から学んだような気がします。

ご冥福をお祈りいたします。